明治元年から1年半、新政府軍と旧幕府軍がぶつかり合う戊辰戦争の終焉の地となった道南エリア。
これらの戦線で旧幕府軍の一員として戦い抜いた新選組のメンタリティーなどを、アイアンマンとの親和性を提唱しながら、その歴史をトライアスリート目線で追って行く当コラム。
今回のテーマは函館のシンボルともいえる五稜郭だ。
その特徴的な形状、そして現在は多くの人が訪れる観光地で有名なスポットは、幕末史を豊富な資料やビジュアルで学べることでも知られており、函館滞在時にはぜひとも訪れておきたいスポットである。
1853年(嘉永6年)にペリーのアメリカ艦隊が浦賀に来航。いわゆる「黒船来航」をきっかけとして日米親和条約が締結され、箱館(明治になるまで函館は「箱舘」と表記されていた)は当時の開港場となった。
ここに徳川幕府が防衛強化などの目的で箱舘奉行を設置。その後、ヨーロッパの「城郭都市」をモデルとする要塞が考案され、蝦夷地の政治や外交の拠点として1866年(慶応2年)に完成したのが五稜郭だ。
日本でも珍しい星型の稜堡(りょうほ/銃や大砲などを使用した戦闘に対処するための構造)式城郭とされ、現在では桜の名所としても知られている。
ここではまず、五稜郭跡でもある五稜郭公園の横にそびえ立つランドマーク、五稜郭タワー に足を運ぼう。
展望台からは函館の街が一望でき、遠くにはアイアンマンジャパンのスイム会場も確認することができる。
展望台から北斗市方面を望むと右側に漁港の堤防、左に桟橋が伸びるスイム会場を確認できる
その1階のエントランスからイベントホールに入ると、まず目につくのが土方歳三のブロンズ像だ(写真左下)。
新選組の創設メンバーのひとりであり副長だった土方は、厳格で正義感が強く、規律を重んじて組織をまとめ上げていたとされている。部下からは恐れられつつも、その一方で土方は彼らの安全や適切な休息、医療対応などにも配慮。剣術など戦闘能力に優れ、率先して前線で戦う姿からも部下の信頼は絶大だったという。
ちなみに道南エリアには、“The Last SAMURAI” と冠され幕末維新の激動の中、戊辰戦争を戦い抜いた歴史上の人物や名所を紹介し、ゆかりの地を巡ることができる『みなみ北海道最後の武士(ものふふ)達の物語』という史跡やモニュメントが設置されている(34カ所)。
そして、その中で一番多いのが土方歳三にまつわるポイントなのである(9カ所)。
そう言われてみると、前述の五稜郭タワーには展望台にも土方歳三像が設置されており(写真右上)、戊辰戦争の最後となる箱舘戦争では旧幕府軍の一員だった新選組のカラーが色濃く打ち出されている。
土方歳三像の前に設置されている五稜郭で使われた大砲。レプリカだが、毎年5月に実施される五稜郭祭のパレードで使用(空砲)されている。そういえばハワイのアイアンマンのスタートでは大砲が利用されているのたが・・・
実は、箱館戦争の旧幕府軍における土方歳三の役職は「陸軍奉行並」。総裁である榎本武揚から数えて4番目のポジションとなる。
それにも関わらず、現在の取り上げられ方を見てみると、彼がいかに重要な役割を果たしていたかがわかろうというものだ。
土方軍進撃の行程とアイアンマンジャパンみなみ北海道のルート
この地での箱館戦争に至る前、土方は戊辰戦争における新政府軍との激闘で次第に不利になっていく中、残存勢力を率いて本州の北、さらには蝦夷地へと進んで行った。
そして、彼を含む旧幕府軍は最終的に函館に到着。その後、五稜郭を主要な拠点に選定する。
理由は地の利を活かした戦略的な判断から。星形の要塞は当時の軍事技術では難攻不落とされ、防御面で大きな利点を持っていたのである。
一方で函館に入った土方は蝦夷地平定を目指し、軍を率いて西南へさらに進軍。今回のアイアンマンジャパンみなみ北海道のフィニッシュ地点である木古内や、その先に位置する福島、松前などで戦績を挙げていく。
蝦夷地に入ったあとすぐに函館で戦力を整え、戦いの舞台を広げていった土方。その重要な役割を果たしていた五稜郭は、いわば土方軍のトランジショエリアだったという見方もできるだろう。
さらには、彼が最初に函館に居を構えたあと、北斗、木古内へと移動していくルートは、まさに今年9月のアイアンマンジャパンのレースウィークとシンクロする部分がある。
偶然にしては出来過ぎではないだろうか? いずれにせよ新選組ファンにとって、さらにはこれを機に幕末の歴史を学ぼうという向きにはぜひ知っておきたいテーマとなるはずだ。
函館、北斗、木古内へと伸びる国道228号線は日本海追分ソーランラインとも呼ばれ、このルートを土方軍は進んで行ったのだろう。アイアンマンジャパンのバイクコースとなる高規格道路はこの山手側を通っている
さて次回の連載コラムでは、その土方軍が激しい争いを繰り広げていったルートの前半。北斗(スタート会場)→ 木古内(フィニッシュエリア)と、今回のアイアンマンジャパン出場選手の戦いの場とを重ね合わせ、たどっていくこととしよう。