【インタビュー】福井弘生さん(木古内町 商工観光創生室長)/ 『アイアンマンの聖地と言っていただけるよう、一歩ずつ前へ進んでいきたいですね』

情熱人

9年ぶりに日本で行われる待望のフルディスタンス・アイアンマンを創る関係者たちの活動ストーリーを紹介するインタビュー連載。
今回ご登場いただくのは大会を共催する木古内町の福井弘生・産業経済課 商工観光創生室長。フィニッシュ地点やランコースなど、クライマックスの舞台のひとつとなる木古内町の窓口として、八面六臂の活躍で大会を支える地元のキーマン。彼に注目レースに向けての町ならではの取り組みやエピソードをお伺いした。(インタビューは7月4日に実施)

Interviewer/綱島浩一(アイアンマンジャパンみなみ北海道レースディレクター)

―― 福井さんは木古内町の産業経済課でお仕事をされていますが、その中にある商工観光創生室というのは新たに立ち上げられたセクションと聞いています。その経緯をお教えいただけますか?

はい。まずこの商工観光創生室ができたのが令和5年4月になります。
それまでは産業経済課として一次産業、観光、商工、そして労働と担当する業務は多岐にわたっていました。そんな中、これからは観光事業や商工事業をさらに町の産業の柱になるよう推し進めて行こうという目的で、課の中に新たに『室』をつくり、商工観光創生室が立ち上がったという経緯があります。

そんな中、今回のアイアンマンジャパンみなみ北海道が木古内の観光振興のひとつになるということで、担当者として関わらせてもらっています。

―― これは鈴木慎也町長のお考えで、新たな政策の一環になるわけですね

一次産業と観光、商工というのは密接な関係があり、一緒に推し進めていくメリットはあるのですけれども、担当する部署がひとつだと、それぞれ注力していくのに限界が生まれます。職員の数も限られていますので。
そこで改めて産業経済課から、観光と商工とを分けて、専属の人員もつけて(商工観光事業を)推進をしていこうという強い思いで立ち上げられました。

―― 初代室長として、いわば新たな業務に挑まれいる大変忙しい最中、これもまた新たな仕事としてアイアンマンと出会ってしまった訳ですね(笑)

町の観光を、これまでなかった事業も含めてさらに推し進めていくというプレッシャーはすごく強いものがあります。
今回のアイアンマンに関しても、町の大きな事業に携われるという部分で重責ではあるのですが、ある意味楽しみが多いのではと最初に思いました。

アイアンマンと木古内との親和性

去年の5月、6月ぐらいに初めて大会招致のお話をいただいて、木古内町がランニングからフィニッシュまでという大会の大きな舞台のひとつとなることが決まりました。
商工観光創生室としていろいろ新たな事業を生み出していくタイミングと、アイアンマンのお話が来たタイミングとが重なった縁といえるでしょうか。目指している観光事業としても、まさしく一大プロジェクトです。

この壮大なスポーツと木古内の特色との親和性は高いだろうと考えていまして、そんな世界観に触れてもらう良い機会だとも捉えています。
地元の方だと当たり前だと思っていて気付かなかったこと。たとえば木古内ならではの自然に囲まれた道路の景色とか、ここから望める函館山の光景だとか。そういう部分をアイアンマンに参加する人たちが見て、感じてもらえる。
今までも観光客から、「この場所の景色はすごく良い」「函館から木古内へ続く道の風景が素晴らしい」と言われ続けてはいるのですけども、なかなかそれをうまく発信するすべというのがありませんでした。

そんな中、アイアンマン開催によってより多くの人に木古内を知ってもらい、世界的にも発信していくことができる。
スポーツ振興のひとつのかたちといえるでしょうか。地元でトライアスロンというスポーツが注目され、それが観光振興にもつながる。この地域に今まで以上の方が来ていただけるきっかけになるのではないかと。

北海道新幹線・木古内駅前ターミナルで数多く掲げられているのぼり旗。町では選手たちを受け入れる準備が着々と進められている

もちろんそういった思いがあっても、私ひとりで(木古内での受け入れを)判断できる訳ではなく、町長や上司に意見を仰ぎ、室員たちとも議論を繰り返しました。多くのメンバーと一緒に事業を進めるわけですから。
特にこのような大きなスポーツのイベントというのは木古内になかなか無かったので、どこまで大変なのか想像がつかない部分もありました。
しかし町長もこのアイアンマンの話を聞いたときに、ぜひやろうという思いが強かったですし、取り組んでみようとなったのです。

目指すはアイアンマンの日本の聖地

―― 私が「アイアンマン開催の計画を説明させてください」と木古内町へお伝えしたところ、福井さんが窓口となり、地元で大会会場の候補となりそうな場所をすべて案内してくれたのですよね。公園や海岸、スポーツ施設など。
そこから大会開催に向けて取り組み、実行委員会に携わってきて、今思っていることをお聞かせいただけませんか? たとえば、せっかくアイアンマンをやるなら、木古内町にこんなことをもたらしたいといった商工観光創生室長としてのこだわりだとか

私が考えている理想の最終到着地点は、「トライアスロンと言ったら木古内」というような聖地になってほしい。それが最大の目標です。
もし、みなみ北海道大会が10年続くのでしたら、その10年後に「日本のアイアンマンの聖地は木古内。アイアンマンといえば木古内だ」というように。
それくらいアイアンマンというのは影響力のある大会ですし、世界にも類を見ない魅力的なイベントのひとつだと思いますので。
主催者にはそこをぜひを目指してほしいと考えています。

そんな気運を反映してか、最近ではこの地域にトレーニングに来ている人、バイクに乗って訪れて来る人などが大分増えました。
その光景は町民の目にも入っていて、地元の意識も高まっています。
今後さらに道外から、世界各国からアイアンマンをやっている人、興味を持っている方たちが集まってきてくれれば、町民たちにも木古内はアイアンマンの街なんだよね、という考えが浸透してくる。
最終的にそうなればすごく良いなと思っていて、そのきっかけ、第一歩が今回の大会になると考えています。

木古内町公式キャラクターの『キーコ』と。木古内町特産の「はこだて和牛」をモチーフに誕生したキーコは、人気の道の駅「みそぎの郷 きこない」で選手たちを迎え入れてくれる

その一方で、まだアイアンマンのことを良くわかっていない、情報がないので知るすべがないとう町民もいます。多分すごく大きいイベントなんだろうな、というくらいの感じだと思います。
でもトライアスリートにとっては素晴らしい大会、世界的にも注目される大きなレースじゃないですか。
やはり、それだけの大会が木古内という小さな町で行われるということを(町民に)知っていただきたい。世界から多くの参加者が来ることを実感してもらうための取り組みを、ここまでやってきています。

たとえば、 『9月15日にアイアンマンが開催されます!』ということを周知する “うちわ” を作成して、町の全戸に配布させていただきました。

―― 全戸ですか?

はい。各世帯なので2,000ぐらいになりますね。
あとは各町内会とか、いろいろな団体の総会、連合会にお邪魔させていただき、アイアンマンという大会を詳しく説明したり、フォーラム(北海道観光を考えるみんなの会 in 木古内 など)を開催して地域住民にPRしたりなど。 

さらには、毎月の町の広報誌に必ず みなみ北海道大会 の記事や案内を掲載してきています。競技に関することはもちろん、地域住民説明会を開催しますといった情報や交通規制の内容だったりとか。

子どもたちには、(アイアンマンの)バイクフィニッシュエリアとなる ふるさとの森公園 内の中央公民館で ミニミニトライアスロン を実施。実際にスイム+バイク+ランを体験してもらうイベントを教育委員会のほうで催してもらいました。
フォーラムや広報誌を利用して、大人たちには浸透してきていると思うのですが、そういった体験会などを開催して子どもたちにも競技を知ってもらう、興味をもってもらうという場を作ってきています。

これからは、アイアンマン開催を歓迎する懸垂幕(8月に木古内町役場などに設置された ※下段にある写真を参照)とか、道の駅のデッキにも看板類を設置する予定です。

あとミニのぼりですね。
木古内にあるほとんどの店舗に配り、店内に立ててもらっています。
そうやって町のあちこちでアイアンマンが開催されるというメッセージが目に入るように、町民が普段から利用していただいている場所など工夫を凝らしています。

北海道人気ナンバー1を幾度となく受賞している 道の駅「みそぎの郷 きこない」でもアイアンマンのミニのぼりが歓迎してくれる

今回の(タイトル写真にある)観光ポスターもそうですね。普段生活する中で、日常でアイアンマンを視覚的に訴えて意識してもらう。
それがきっかけで、「9月15日にアイアンマンがあるよね」ということを思っていただける、気運醸成というのも大切な仕事としてやってきています。

そうやって一歩ずつ、少しずつクリアしていくということがやはり一番。それが大会の盛り上がりや熱い応援につながってくると思いますので。

―― 参加する選手たちに木古内町に期待してほしいこと、あるいはこういうところを見て欲しいなど、福井さんが思っていることを教えてください

自然や景色というのはよく言われることなのですが、それ以外だとやはり『人』ですね。
今回ボランティアスタッフなども含め、おそらくこれほどの地域の人たちが携わるイベントというのは無いと思うんですよ。これまでも、これからも。

そんな中、選手には町民との接点といいますか、スタッフやボランティアが一緒になって行われる運営や応援を楽しんでもらえればと思います。コース上のエイドや沿道からの声援、フードイベントなど。
「見る」というよりは「感じる」。そういうことが共有できればいいなと考えています。

大会開催に向けて多くの会議、重要な会合が地元でも継続的に催されている

道南グルメを堪能できるフェスタに注目!

―― それは選手たちにもぜひ感じていただきたいですね。月並みな表現ですが、木古内の人たちは人情が厚いというか、人に優しいというか。一緒に時間を共有していて本当に心地よいんですよ。参加者たちにもすごく伝わると思います。
そんな地元との接点の場のひとつとして、前述のフードイベントもありますがその概要を教えていただけますか?

はい。今回9月15日のレース当日と、16日の表彰式の2日間に合わせて、『アイアンマンぐるっと道南グルメまつり in KIKONAI』が開催されます。
これは木古内町だけでなく、道南エリア全体の食が一堂に会して楽しめるフードイベント。全国各地、各国からの参加者やその応援者、また大会を観戦しに来た地域の人々やスタッフなどに楽しんでいただくフェスタです。

地元にはアイアンマンを見るのが初めてという人もいますし、レースに興味を持ち木古内まで見に来られる方々もいます。
せっかくなので、そういった広い意味で大会に関わる人すべてを対象にしたイベントが開催されます。

ブースは30店舗を予定していまして、半分ぐらいが町内の事業者さん、そして残り半分はこの道南エリアの市町に募集をかけています。
まさに南北海道のグルメを満喫していただき、盛り上げたいと考えています。

―― 北島孝雄 大会会長にインタビューさせていただいたときも強く感じたのですが(※インタビュー記事はこちらに掲載)、福井さんのお話を伺っていると、大会として『おもてなし』の気持ちが随所に伝わってきます。
ほかに具体的な予定などはありますか?

選手としては(木古内の)フィニッシュ地点はもちろんですし、表彰パーティーなど心に残る、記念となる場所が多いと思います。
そしてさらに、その家族や大会に興味をもって来ていただいた人たちが、何かアイアンマンに少しでも触れ合える、大会のクライマックスを迎える木古内で記念に残る場所が作ることができれば最高かなって思ってます。

たとえばウェルカムボードなど。ちょうど今、道の駅 みそぎの郷 きこない にあるようなディスプレイですね。
「Welcome to KIKONAI」と書かれた特別なボードを作成し、大会の名物スポットとしてバック幕と一緒に皆さんに記念撮影していだたくとか。今、模索段階ではあるのですけれども。

―― では、福井さんのほうから参加者に期待することや、お願いなどがあればお聞かせいただきたいのですが

まずは安全にフィニッシュまでレースを楽しんでいただきたいですね。
木古内ですと、ランコースの農地区間は街灯が少ないものですから、夜遅くには気をつけて走っていただきたいです。もちろん選手が安心して参加できるよう、大会側で安全面に十分配慮して運営されるでしょうし。

そして、本当にみんなが「良かったよね」って言ってもらえる大会に育っていってほしいと思っています。
9年ぶりに日本で開催されるアイアンマンの舞台のひとつとして、「木古内で良かったな」とフィニッシュ後、そして大会翌日に帰るときに感じてもらえるように。地域住民も一生懸命お手伝いすると思いますし、選手の方々にはそれを感じ取っていただきたいですね。

フィニッシュ地点の木古内町役場に掲げられた歓迎の懸垂幕

そうやって「木古内最高」「木古内は聖地だよね」と言ってもらえる足がかりになるように、参加者も地元と一緒に大会を盛り上げていただければ嬉しいです。
これが1年で終わるものではないと思いますから。
初回大会が終わったら、もうすでに次が始まっているのだと思います。引き続きいろいろなレース情報を発信し、まわりに伝えていき、さらに地元も盛り上げるし参加者も一緒に盛り上げていただく。そんなアイアンマンが続いていくように、選手の方々にもお願いしたいなと考えています。

―― 最後の質問なのですが、レースに出場することはもちろんのこと地元のグルメも楽しみにしているトライアスリートは多いと思います。
福井さんが地元で好きな食べ物、これはすごく美味しい! と思う料理などがあればお教えいただきたいのですが

えぇ〜……。いろいろあって難しいのですが、ひとつは和牛でしょうか。北海道といえば海鮮のイメージが強いかもしれませんが、ブランド牛なども有名です。木古内で生産される「はこだて和牛」は全国のあか毛和牛の品評会で最優秀賞を受賞したこともあるんですよ。
あと、家族で「今日は贅沢しちゃおう」というときは、やはり津軽海峡でとれた食材を使ったお寿司ですね。マグロの握りとか本当に美味しいんです。
ブランド牛と海の幸。この2大グルメは外せないですね。

―― マグロは地産地消で築地には行かないものも楽しめるんですよね。2、3日寝かしてから食べると味が熟成され、さらに美味しくなるんだとか

はい。私は毎年、松前城下マグロまつりに行くのですが、そのとき「最低でも1日冷蔵庫で保存して翌日食べて」とアドバイスを受けます。でも我慢できなくてすぐに全部食べちゃうんですよ。
私、マグロ大好きなので……。

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福井 弘生(ふくい ひろお)
北海道木古内町 産業経済課内で新たに立ち上がった商工観光創生室の室長として、地域振興を推し進める中、現在はアイアンマンジャパンみなみ北海道の地元担当としての重責も果たすキーパーソン。大会実行委員会では共催団体の代表のひとりとしても参画し、レース開催に向けて活躍。郷土愛も注ぎ込んでいる。綱島レースディレクター(左)の大会招致活動時から木古内町の窓口となり、地元への広報活動などにも大きな役割を果たしてきている。

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