【トライアスリートが紡ぐ IMジャパンの歴史 ①】トライアスロン元年。日本でアイアンマンが誕生した1985年 〜 プロローグ 〜

IMジャパンの歴史

(写真上)伊吹山の麓から続き、バイクコースの名物応援スポットとなった通称 “てっぺん坂”。いつしか、坂の登り口で「頂上までペダル1,000こぎ」という看板が立てられるようになり参加者を奮い立たせる名所にもなった ©Jero Honda

text/Hidetaka Kozuma(コウヅマスポーツ)

未知なる領域への旅
日本のトライアスロンシーンに初めてアイアンマンが誕生したのは1985年6月30日。滋賀県北東部の彦根市、長浜市や余呉町などを舞台に開催された『アイアンマン・ジャパン in LAKE BIWA(びわ湖)』というのは知られた話である。

ハワイで行われていたアイアンマンのエスプリ(精神)に共鳴した開拓者たちが、1981年8月に鳥取県米子市(皆生)で日本のトライアスロン史をスタートさせてから4年。
スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km。まだ見ぬ未知の、そして未踏の領域に427人の挑戦者たちが “アイアンマン” の称号を目指し、シーズン前の賑わいを見せる松原水泳場からびわ湖にその身を委ねた瞬間から物語は始まった。

1985年から97年まで開催されたアイアンマン・ジャパン in びわ湖。アスリートたちの限界への挑戦は、毎年変わることなく彦根市の松原水泳場から幕を開ける

この1985年は黎明期にあった国内の競技環境の中、大きなうねりと熱を帯びた人気スポーツへと加速させた『トライアスロン元年』と言われている。
4月に第1回の宮古島ストロングマンが開催。地域振興プロジェクトのひとつとしてスポーツ・アイランドを標榜し、スポーツツーリズムの先駆けとなるイベントとしても人気を博した。今、思い返せば当時のNHK放送による視聴者の反響は、奇しくも82年アイアンマン・ハワイでのアメリカABC放送(注1)が生んだ爆発的な競技の波及性を彷彿とさせるものだったのは、運命的だったといえる。

その後、10月には日本で初となる競技距離51.5kmのインターナショナル・スタンダードタイプ大会(当時の呼称)、天草トライアスロンが熊本で行われる。翌年この51.5kmのレースは国内で3大会に増え、多くのトライアスロン挑戦者の間口になったと同時に、海外を含むプロ選手、トップアスリートたちが競合する国際レースの基盤としても発展。
のちにオリンピック種目へと続くトライアスロン・ヒストリーの、日本の礎となるレースも創出されていたのである。

多くの転機を生んだ初回のアイアンマン・ジャパン
まさにトライアスロンが活況を呈しようかという最中、実施されたアイアンマン・ジャパン。ただ、実際にはこの競技の輪郭を浮き彫りにしたような、数多の困難を経ての誕生だったことも知られているだろう。
象徴的なのがレース時のコンディションだった。
大会期間中の大型の台風が開催地に接近し、低水温によるスイム競技の距離短縮やレース実施自体の実現性すら、関係者に一抹の不安を抱かせる気象条件。そんな状況下での大会当日の号砲だった。(スイムは水温21℃の中、ウエットスーツ着用可で予定通り3.8kmで実施)

果たして、レースはバイク競技に移ってからは容赦なく振り付ける雨、さらに夜間フィニッシュの時間帯は豪雨となるよりによっての環境であったものの、366人がフィニッシュ地点となる彦根市・金亀野球場に凱旋。国内の地で初の “アイアンマン” たちが誕生している。

第1回大会のフィニッシュ地点だった彦根市・金亀野球場(彦根城)、その後の長浜市・豊公園(長浜城/写真)とフィニッシュ会場からはいつも天守閣が望めたアイアンマン。このランドマークが帰って来る選手たちを常に見守っていた

この記念すべき大会をレースウィークを通して取材し、リアルな描写とともに当時国内で唯一のトライアスロン専門誌『トライアスロン・ジャパン』でリポートしている勅使河原義一氏はこう振り返る。
「当日はタクシーをチャーターして追う選手各々の挑戦、葛藤などのストーリーをほぼコース全域で追いました。ハワイでアイアンマンを見たときも衝撃を受けましたが、日本でアイアンマンが誕生し、認知された事実は感慨深かったですね。制限時間に近づけば近づくほど選手の行く手を阻むように雨足が強くなっていくコンディションも、『完走者すべてが勝利者』というマインドの尊さを際立たせていたのかもしれません」

この前年に日本の専門誌として初めてハワイのアイアンマンを取材し、のちに同誌の名物編集長として長きにわたり国内外のトライアスロン文化を報道し続けてきた彼にも、大きな転機となったイベントだったという。

開かれたロング世界への扉
それから、びわ湖のアイアンマンはプロ、アマを問わずロングディシュタンスの世界の檜舞台への日本の間口となり、競技レベルの底上げや普及に大きな役割を果たすようにもなっている。
ハワイで行われるアイアンマンを頂点に、その年代ではまだ世界で5大会しかなかったシリーズのひとつ。10月の満月に一番近い土曜日に開催されるアイアンマン世界選手権(ハワイ)の予選レースとしての位置づけとして、多くの日本人アスリートが世界へ目を向けるという新たな価値観も生み出していた。

アイアンマンジャパンみなみ北海道の大会スーパーバイザーである宮塚英也。彼がびわ湖大会に初めて出場したのが1987年だった(6位)。翌88年(写真)は日本人トップの4位に入り満を持してアイアンマン・ハワイに参戦し、9位入賞という金字塔を打ち立てている

それと並行してロングの世界最高峰のパフォーマンスを間近で体感できるレースとして、海外のトッププロも数多く参加。
第1回大会ではハワイのアイアンマンで通算6勝を挙げることとなるデイブ・スコットやアイアンマンの伝説を築き上げたひとりであるジュリー・モスが出場し、男女それぞれで優勝。
以降、男子ではマーク・アレン(ハワイ6勝)、スコット・ティンリー(同2勝)、女子ではポーラ・ニュービー -フレイザー(同8勝)など数多のタレントたちがレースを彩っている。

現在、アイアンマンのコメンテーターやワールドトライアスロン・シリーズのMCなどで活躍するグレッグ・ウェルチも1992年〜94年にかけてびわ湖大会に出場し、2度優勝している。94年はびわ湖制覇の勢いをハワイへと持ち込みワールドチャンピオンのタイトルも獲得した(写真は1994年)

今後、この連載コラムではびわ湖当初からのアイアンマン・ジャパンの模様を時系列的に追っていくとともに、日本トライアスロンの歴史を牽引してきたレジェンドやキーマンたちの知見や経験を紹介。そして当時を振り返るだけではなく、これからのトライアスロンを創造していく世代に向け、パイオニアたちの比類なき情熱やビジョンを未来へと紡いでいくための情報も発信していくこととしたい。

日本で再びアイアンマンが復活する2024シーズンに、その歴史を一緒に紐ほどいていこう。
(次回コラムは1985年アイアンマン・ジャパン in びわ湖を振り返ります)

(注1)1982年のアイアンマン・ハワイでレースをリードしていたジュリー・モスだったが、フィニッシュを目前にして疲労と脱水症状で倒れてしまう。しかしその後彼女は諦めることなく、地を這って2位でフィニッシュラインに到達。このシーンがアメリカABCの「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」で放映され、視聴者に強烈なインパクトを与えた。その波は世界をかけめぐりアイアンマンをメジャースポーツへと押し上げていくきっかけとなっている

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<続きのコラム>
・アイアンマンジャパンの歴史② ’85びわ湖/前篇
・アイアンマンジャパンの歴史③ ’85びわ湖/後編
・アイアンマンジャパンの歴史④ 世界を目指す競技の成熟(’86びわ湖

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